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【昔の画像も】いとうあさこの若い頃はどんな人だった?徹底解説!

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50代になって、ますます活躍の場を広げているいとうあさこさん。

実は若い頃は家出したり、男に1,000万円貢いだり、波乱万丈な人生を送ってきたことでも知られています。

いとうあさこさんの若い頃のエピソードは度々テレビで触れられているため、気になって検索する方が多いようです。

そこでこの記事では、いとうあさこさんの若い頃がどんな人だったのかについて徹底的に紹介していきます。

この記事で分かること
  • いとうあさこが若い頃に痩せていて可愛かった時の画像
  • いとうあさこが若い頃に家出して男に貢いだ時の話
  • いとうあさこの若い頃に出演していたテレビ番組一覧
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目次

いとうあさこのプロフィール

名前いとうあさこ
本名伊藤 麻子(いとう あさこ)
生年月日1970年6月10日
出身地東京都渋谷区
最終学歴雙葉高等学校
身長162cm
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いとうあさこの若い頃は痩せていて可愛かった!

https://twitter.com/31meltemsunnyjm/status/1541383898311135232?s=20

いとうあさこさんは、渋谷区千駄ヶ谷にあると言われている豪邸に住むお嬢様として生まれました。

父親は銀行の取締役や数々の企業の社長を歴任したエリート、母親は実家にお手伝いさんがいたりプールがあったりする資産家の生まれでした。

そういったお金持ちの生まれと言うこともあって、「雙葉小学⇒中学⇒高校」とお嬢様の王道のルートを突き進みます。

とても育ちの良い幼少期を育ったようで、若い頃のいとうあさこさんはとても可愛らしいことでも知られています。

ここではいとうあさこさんの若い頃のかわいい写真を一挙に紹介していきます。

https://twitter.com/kakeru_now/status/1212644580685860864?s=20

とにかく育ちの良さを感じずにはいられない「かわいらしさ」と「清潔感」を持っているのが、若い頃のいとうあさこさんです。

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いとうあさこの若い頃は家出して男に貢いだ!

そんなお嬢様として英才教育を受けていたいとうあさこさんですが、あまりにも教育が厳格過ぎたのか、それとも敷かれたレールの上を進んでいくだけの人生に嫌気がさしたのか、いとうあさこさんは19歳の時に家出します。

上のツイッターにもある通り「いとうあさこさんは理系に進みたいけど、嫁に行きそびれるから文系に進みなさいと両親から言われた」ことも家出した原因として大きかったらしく、当時はまだ昭和だったこともあり時代を感じるエピソードとなっています。

ちゅらりき

若い芽を潰すのもどうかとは思いますが、時代が時代なので仕方ないのかもしれませんね。

いとうあさこさんが家出した後は、アパートに妹と住んだり、彼氏の家に住んだりしていたそうです。

20代になってから、できた彼氏が軒並みヒモ男という不幸に見舞われたいとうあさこさん。

ちゅらりき

お嬢様だったので、お人好しで世間知らずな一面もあったのかもしれません。

そのヒモ男に貢ぐために鬼のようにバイトして、稼いだお金を1,000万円以上貢いだそうです。

「どうせ実家が金持ちなんだから支援してもらってたんでしょ?」と思うかもしれません。

実際にいとうあさこさんはお嬢様ではありましたが、家出したという経緯から実家の支援は無かったと推測されます。

ちゅらりき

むしろ「そんなものはいらない」と、いとうあさこさん自身が断っている可能性すらあります。

また、両親の教育が「お金をあげない」教育をしていたことからも、「たとえいとうあさこさんがお金に困っていたとしても安易に甘やかさないのでは?」と考えられます。

そういうこともあってか、いとうあさこさんはお嬢様育ちではありますが、「怪我をしても仕事を簡単に休まない」「面白いのならテレビの前で裸になれる」ようなハングリー精神を持った芸人になりました。

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いとうあさこが若い頃に出演していたテレビ番組一覧

いとうあさこさんが若い頃に出演していたテレビ番組はこちら。

  • 進ぬ!電波少年(日本テレビ):電波少年的15少女漂流記
  • あらぶんちょ!(東京ケーブルネットワーク)

いとうあさこさんは、20代の時から佐藤千亜紀さんと「ネギねこ調査隊」というお笑いコンビを組んでいましたが、鳴かず飛ばずでした。

いとうあさこさんの芸人としての芽が出始めたのは30歳の時。

ちゅらりき

30歳でやっと芽が出始めるとは、芸能界もやっぱり厳しい世界ですよね。

「進ぬ!電波少年」のコーナー「電波少年的15少女漂流記」のメンバーに抜擢されたことがきっかけでした。

電波少年的15少女漂流記とはタイの無人島でサバイバルという企画で、若かりし頃の黒沢かずこさんも参加していました。

いとうあさこさんは、この企画で最後まで生き残った8人でCDも出しました。

無事、企画で最後まで生き残ったいとうあさこさんでしたが、ここで悲劇が。

この企画で長期間「ネギねこ調査隊」としての活動ができなかったこともあり、コンビを解散してしまいます。

この後、ピン芸人に転身し、レオタードを着て「浅倉南、〇〇歳です!」と自虐ネタをするスタイルの芸でじわじわと芸能界の中で頭角を現していき、現在に至ります

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【昔の画像も】いとうあさこの若い頃はどんな人だった?徹底解説!【まとめ】

この記事では、いとうあさこの若い頃がどんな人だったのかをいろんな角度からまとめました。

いとうあさこさんは19歳に家出をしてからと言うもの、若い頃はヒモ男に貢いだりしながらも強烈なハングリー精神で芸能界での地位を築き上げてきました

今後のいとうあさこの更なるご活躍に期待したいですね!

この記事のまとめ
  • いとうあさこさんの若い頃は、清潔感があってかわいらしい女子だった。
  • いとうあさこさんは若い頃に総額1000万円ほどヒモ男に貢いだ経験がある。
  • いとうあさこさんは若い頃、番組の企画でCDを出したことがある。
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