MENU

瓜田純士の若い頃が衝撃?顔に刺繍を入れた理由はなぜ?経歴も紹介      

瓜田純士の若い頃が衝撃?顔に刺繍を入れた理由はなぜ?経歴も紹介      

アウトローのカリスマと呼ばれ、格闘技イベント「ブレイキングダウン」でもおなじみの瓜田純士さん。全身に彫られた刺青がかなりインパクト大ですが、特に顔面にもある無数の刺青に目が釘付けになりますよね。そんな瓜田純士さんですが、若い頃にも注目が集まっています。今回は、瓜田純士さんの若い頃や経歴について、調査しました。

目次

瓜田純士の若い頃が衝撃?

瓜田純士さんはかつて日本一有名な不良だったため、〝アウトローのカリスマ〟〝キング・オブ・アウトロー〟との異名で呼ばれていました。20歳ころの瓜田純士さんはまだ顔に刺青がなく、ワイルドでイケメンなのです。現在は総合格闘家としても活躍していますが、若い頃から喧嘩が強かったとか。腕力が強いというよりは、喧嘩の仕方が上手だったので、年上相手でも向かうところ敵なしだったそうですよ。

瓜田純士が顔に刺繍を入れた理由はなぜ?

瓜田純士さんはアウトローの世界で目をつけられ、舐められないように顔面に刺青をいれたそうです。メディアなど表の世界にも出られないことを決意する意味でもありました。瓜田純士さんは顔面から足の先まで、全身に刺青をいれていますよね。ひとつひとつ見ていくと和柄やトライバルが多く、表現できない柄も多いようです。特に顔面の刺青は独創的な柄で、「蝶」もあったりします。蝶は「変化」「成長」「生命」などを意味するようです。瓜田純士さんも何かを決心して、全身に刺青を入れていったのでしょう。とはいえ、人生で最も後悔していることは、「顔面に刻んだタトゥー」としています。

瓜田純士は顔面タトゥーを後悔していた

瓜田純士さんは顔面に入れたことを後悔していた時期がありました。住む部屋も借りられず、就職も無理で一般社会で生活することが非常に困難に。今は知名度も高まったので生活できるようになったのですが、昔は『誰だあいつ』という中で偏見の目を向けられます。デパートに行った際は、エレベーターの鏡やエスカレーターの鏡に映る自分に、ギョッとすることもあったそうですよ。知らない人はもっと驚くことに気づきます。いまでこそファッション感覚でタトゥーを入れる人もいますが、当時は異質だったので後悔したそうです。

瓜田純士の経歴

瓜田純士さんは父親が暴走族「ブラックエンペラー」の2代目総長で、少年時代から新宿・歌舞伎町で不良少年として有名になりました。あまりの素行の悪さから、中学2年生のときに新宿区から杉並区内の中学校に転校させられています。高校には進学せず、関東連合のメンバーと出会い、17歳で暴力団員となりました。その後、カーチェイスによる業務上過失傷害で執行猶予期間中、2003年4月に覚醒剤取締法違反(所持及び使用)で逮捕され、3年半の懲役刑となります。10代という若さで暴力団構成員となり、多くのトラブルを起こしてきました。

服役中に書籍出版

刑務所に服役していたころ、刑務所内の文芸コンクールで小説『mother』を発表。この作品が大賞を獲得し、作家を志すようになりました。暴力団は服役中に脱退し、2007年9月に仮釈放されます。2008年9月には自伝的小説『ドブネズミのバラード』で作家デビューし、2010年には映画化もされています。このような経歴から、アウトローのカリスマと呼ばれるように。現在は朝倉未来さん主催の格闘技大会「ブレイキングダウン」にも出場し、さらに知名度を高めています。

まとめ

今回は、瓜田純士さんの若い頃や経歴について、紹介しました。瓜田純士さんは小学生のころから有名な不良で、暴力団に入り逮捕・服役されるなど、波乱万丈な人生を歩んできました。相手に舐められないよう顔面に刺青をいれたものの、後悔しているときもあったようですね。

目次